日記と制作記録(2025/03/02)


・書くのが翌日になってしまった。祖母の出棺式(坊さんも呼ばないし、身内だけで執り行ったので式と言えるのかわからないが)があり、別に何かを頑張ったわけではないが、疲れて風呂も入らないで朝まで寝てしまった。

・03/01の日記は、この日の出来事を途中までしか書けなかったので、その続きから書く。

いや、03/01の日記の続きを書こうと思ったが、時間が経つと、別にこの日のことはもういいやと思えてくる。なんか、最近「そんなもん」なことが多いと感じる。生きていると、本当に1日単位で気分や考えが変わる。毎日いろんな出来事があって、その度に何かへの解釈が変わる。そして、今日や昨日くらいのことでもないと、もう何か、その時には書こうと思っていたことへの、リアリティや切実さも薄れてくる。今、そんな感じだ。つまり、やっぱり、何か「絶対性」みたいなものはないのだ。俺は今生きていて、まだ死んでいないのであって、死なない限り何かが絶対的になることというのはない。そんな、絶対性のない中で、俺は俺の東京タワーという何かを、作ろうとしているのだ。それは、難しいことだと思う。絶対性がないながらも、相対的に価値が高いことというのはあるはずで、それを優先的にやればいいと思うんだけど、それはやっぱり「所詮」相対的なことだ。

・俺は生きているのだ。生きているということはすごい大変なことだと最近思う。止まることはできないのだ。何と言うか、生きるというのは、自分で歩みを進めることもあるけど、川の流れに流されていくようなところもあって、自分にはどうにもできないことが多い。コントロールができないのだ。その中で、どうやって自分の中で価値を作って、俺の東京タワーという何かを作っていくべきだろうと悩んでいる。

・話がそれたが、話がそれることはすごい大事だと最近思うようにもなってきた。なぜなら、話がそれた中にしか、何か重要なことは書けないという気が最近するからだ。俺の東京タワーは、あくまでもコントロールしながらも、何か「それる」ように作ることができないだろうか。それてばっかりだと、何かを作ることは難しいだろうから、やっぱり、コントロールも必要だと思う。そして、それをどの程度コントロールするのは、やっぱりその時の「何となく」や「気分」でしかないのだと思う。そこに根拠を見つけることは難しいと思う。

・話がそれたが、やっぱりそれることは大事だ。そして、本当に本題に戻そう。いや、やっぱり「本題」も大事なのだ。本題があるからそれることができるのであって、本題がなければそれようもないのだ。これは、日常の出来事の中でも結構発見できる法則だ。何もない日よりも、午後に歯医者の予定の一つでも入っている日の方が、仕事が捗ることがある。いや、ごめん、それは少し違うかもしれない。いや、全然違う話だ。もうこの話は、やめる。

・続きを書く。2025/03/01の出来事について。父の車で、家族葬的な施設に到着したのは、確か16時ごろだった。施設の中でも、最安値の部屋だったようで、職員通用口の中で余ったスペースに無理やり作ったような不思議な部屋だった。本当は、職員の宿直部屋なんじゃないかとも思った。

・納棺師の人が1時間後にくるとのことで、それまで、祖母の亡骸と、父と母と私しか部屋にいなかった。冬の西陽が部屋に差し込み、何もすることもないこの時間は、何かとても切なかった。切ないのと同時に、何か普段は見ないようにしている人生の本質もここにある気がした。本当はやることなんて人生に何もないし、そして、死んでしまえば後は忘れられていくだけ…とでも言うような、そんな切なさ。死んでしまうことだけが確かで、そして、人生にはやるべきことがいっぱいあるように見えて、実はいつか死んでしまうことに対してできることなんて一つもない。やることなんて、本当は一つもない。父と母と俺しかいない寂しさと、何もやることのないこの時間が、それを際立たせた。

・こんなことを言ってはいけないのかもしれないが、いくら生前祖母が望んだようにしているとしても、やっぱり可哀想だった。99歳だったので、親しい人はみんな亡くなっているだろうし、元々我が一家はみんなコミュニケーション弱者なので、親戚付き合いも本当に薄いから呼ぶ人もいない。あんまり褒められない事情があって、母の兄、つまり祖母にとっての長男一家も来なかった。これは可哀想だ。

・俺は、死後の世界は、信じたいけど、多分ないだろうと思う。だから、祖母は多分、無になった。無になったんだけど、無になったと思っているんだけど、可哀想だと思うのは、何でなのか。わからない。無ならば、祖母は別にこの葬儀について何も感じないはずなのに。

・17時に納棺師の人が来て、ようやく少し「やるべきこと」が出来た。私の姉と、その子供二人も来た。「人生の本質が見える時間」が少し消えた。俺は、本当はやっていいのかわからないけど、この様子が何の記録にも残らないのが嫌で、写真や動画を撮り続けた。

・納棺師の人が、「おくりびと」的なこと、つまり化粧をしてくれたり、着物を着せてくれたりして、これは見ている自分の心を癒した。納棺師は、デザイナーや証券会社員よりは、確かにこの世界に必要な仕事だと思った。

・18時に、部屋を出ていかなければならない安いプラン(一晩中そばにはいれないプラン)だったようで、納棺師の作業が終わったあと、すぐに部屋を出た。部屋を出る少し前に、本州に出張に行っていた姉の旦那さんが、帰ってくるのに間に合って来てくれた。

・この日は、そんな日だった。

・そして、翌日03/02について。この日は出棺の日だった。当然いわゆる告別式は行わなかった。参列者は、昨日から引き続き父と母、姉一家とそして俺だった。葬儀屋さんが来て、父が母を説得して急遽買った花と、死ぬまでいた介護医療院から手向けられた花を切ってくれて、それを参列者全員で棺に入れた。

・棺に蓋をする前に、蓋をしたらもう顔を見ることはできないと言われたので、最後に祖母の額を撫でた。そして、少し泣いた。幼少期、祖母と一緒に近所のセイコーマートまで買い物に行って、よくお菓子を買ってもらったことを思い出した。祖母と買い物に行くと、いつも母親には買ってもらえない、300円くらいする食玩を買ってもらえた。

・火葬場まで祖母を送るバンに、母と俺と二人で乗った。父は車で後続したが、姉一家は来なかった。何が用事があるとかで、母親も無理して来なくていいと言ったようだ。後で、母がいない時に父が、姉一家くらい来てくれてもいいじゃないかと嘆いていた。母に似てドライだと言っていたが、母と姉はドライっていうか…共感力がないんだと思う。ドライってなんか、合理性を重んじるみたいな雰囲気が少しだけある気がするんだけど、そういう感じではないのだ。

・火葬場に着き、祖母を出棺した。父方の祖父母の時は、火葬中は待合室的な部屋にて参列者全員で待機し、仕出し弁当を食べたが、今回は俺含め三人しかいないから、その待合室的なのを経費削減の為に母は予約しなかったとのことだった。そこで、火葬場の中にある、誰でも使える休憩所みたいなところで、祖母の火葬が終わるのを待った。そんな人、うち以外にいるのだろうかと思ったが、行ってみたら意外にも結構いた。

「ロビー」と職員が呼ぶ休憩所。結構人がいた

・喪服で、一人で待っている男性もいた。どういう事情があるのかはわからないし、その人の気持ちもわかりようもないが、一人の人間の死を一人だけで受け止めないといけないのは辛いだろうと思った。

・火葬が終わり、祖母の骨を三人で骨壷に入れた。墓には入れず、海に散骨するのが祖母の希望であったようだ。墓参りもできないので、俺は形見が欲しくて、少しだけ遺骨をもらった。前日、遺髪ももらっていた。

・火葬場を後にし、海への散骨の手配を取り行っているNPO法人のオフィスに祖母の遺骨を持って行った。春まで遺骨をそこに置き、5月に小樽近辺の海に散骨するらしい。

・そんな日だった。今回の葬儀に係る父の意見について、概ね同意し、父の株が自分の中で上がっていたが、何かこの日は、やはり突然キレたり、不機嫌になったり、こだわりを発動されたりする場面が多々あって、こういうところがあんまり好きじゃなかったし、こういう父の一挙一動に動揺し、怖がってしまう自分が屈辱的だったことを思い出し、やっぱり苦手で好きじゃないかもしれないと思った。

・ようやく書けた。終わります。

※最終更新日:2025年3月11日  


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