こんにちは。
Lily.jrです。
引き続き、自己紹介をしていきます。
最初は簡単な自己紹介にするつもりでしたが、「俺の東京タワー」とは何かを説明する為には、自分の歴史を詳しく皆さんに教える必要があると感じてきました。いたずらに長くするつもりはありませんが、もう少し続くことをお知らせします。
俺は、中学校1年生の時に、リリーフランキーの「東京タワー(副題略)」に影響されたと思っていた。
しかしその「影響された」と言うのは「純粋に自らの中で立ち上がったもの」かは今となってはわからない。
それは、この投稿を書いている中で昔のことを思い出したから。
それは、小学生の時持っていた「何にも所属していなくて、何か目標も持っていないこと」への強いコンプレックスについてだった。
「そういう人間(何かに所属している・何か目標を持っている人間)」と、「そうでない人間」というのが当時の自分の中の人間の分類としてあって、自分は「そうでない人間」を「そういう人間」よりも劣った存在だと思っていた。そして、自分は後者だと思っていたから、そうである人間に比べて劣っていると思っていて、そのコンプレックスを思い出したのであった。
つまり俺は、劣等感を解消する為に、何か目標を持ちたかったから「東京タワー」に影響されたことに自分をしたという面もあるのではないかと気づいた。
前回まではこんなことを書いてきました。続きを書きます。
小学校入学以前からの友達がいること、その親同士が仲がいいこと。習い事をしていて、同じ習い事をしている親同士が仲がいいこと。習い後をしていて、その習い事に関する「今の目標」があって、またその習い事に関する「将来の夢」があること。
俺の思う「そういう人間」はまとめると上記のような人間なのですが、その要素が自分にはあまりありませんでした。
俺の思う「そういう人間」について、今考えると、更に踏み込んでこう言えるでしょう。
1 何か大きくて、規格化されているものに所属している
2 何か規格化された「常に外部から発生する小目標を達成しながら、将来の夢に向かっていく」物語みたいなものを持っている
規格化という言葉が、正しく自分のニュアンスを伝えることができているかわからないのですが、自分のニュアンスとしては「格好がついて、何か大きいものからお墨付きを与えられている」みたいなイメージです。
俺は、そういう規格化されたものへの所属感がなかったし、規格化された物語みたいなものを持っていないという気持ちがありました。そして、何度も言いますが、そのことに対して強く劣等感を持っていたのでした。
あと、何故当時の俺は、そういう人間とそうでない人間がいる、と心で冷たく分けていたのか。そして、そうでない人間は劣っていると思っていたのか。それは原因がわかりません。
両親の言動から何か影響されたのかもしれないし、生まれつきの性格だったのかもしれません。
また、小学4年生の夏頃からだったと思いますが、実は少林寺拳法を教室で習ったことがありました。それは人生初の習い事でした。
小学4年生の時、チャウシンチー監督の「少林サッカー」という香港映画を見ました。この辺りの感情の働きはよく思い出せないのですが、そのことで何か感情が働いて、親に習い事(少林寺拳法)を習わせてくれと初めて言いました。
習い事をしてたじゃん、と思われるかもしれませんが、小学4年生という、ある程度、物心というか自分の意思が出て来る頃に、親に行きなさいとも言われないで自発的に習いに行ったこと、これはちょっと上記のような「そういう人間」の要素の一つとは自分にとって違かったのです。この辺のニュアンスは伝えるのが難しいのですが、この場合自分にとって「そういう人間」の要素になる為には「物心も分別もつかないくらいの時に、親に抗いようもなく習い事に行かされて、いつの間にかそこに所属している(何か運命的に習い事をしているみたいなイメージ)」必要がありました。
俺は、自分で行きたいと思ってそこに行っている。そして、親からはいつ習い事を辞めてもいいと思われていて、期待されていない。それは「そういう人間」であると言えなかったのです。そして、何かそれゆえに習い事先に対して「俺は本当はここにいるべき人間でない」みたいな思いと、そこにいることの恥ずかしさをずっと持っていました。
だから、少林寺拳法1つを小4で自分の意思でしていたことでは、俺の劣等感は治らなかったのです。
(ちなみに、少林寺拳法は、おじいちゃんの先生の怒鳴り声が怖くて、小学5年生の終わりに自分で辞めました。)
続きます。
※最終更新日:2025年6月14日
