「俺の東京タワー」とは何か。そもそも私は何者か⑥


こんにちは。
lily.jrです。

前回まで書いていた自己紹介の④及び⑤において「俺はリリーフランキーの東京タワーに影響されたと思っていたが・・・」と書きましたが、このことについて補足したいことがあります。

何だか、俺は言葉を上手く使えなくて、よく誤った言葉を使ってしまいます。そして、いつの間にかその誤った言葉に自分が騙されてしまい、その誤った内容に脳内で記憶を書き換えてしまうことがよくあるのです。これは、多分端的に頭が悪いんだと思います。情報処理能力が俺は低いんです。実生活の中で、低いと思わされることが多々あります。

上記の話に戻りますが、俺は昔から「東京タワー」に端的に影響されたとは思っていませんでした。何か不純なものをずっと感じていたんです。ただ、先日母親と話して、この不純さがほぼ100パーセントだったんじゃないかと思ったんです。このことは③で書きました。しかし、④と⑤で③の内容をまとめた際、端的に「影響された」と書いてしまったんです。

④の時に書いた「影響された」は、「純度100パーセントではないにしろ何か純粋なものが混じっていたと思っていたが」というニュアンスを脳内で含んでいて書いたのかもしれません。それは覚えていません。ひとまず、これは正確な言葉遣いをしているとは言えません。解釈の幅が広くなる言葉遣いだからです。

しかし、⑤を書いた時に、俺は④の「影響された」を読み、そのまま⑤でも「影響された」と書きましたが、この時、多分「純度100パーセントだと思っていた」という意味に記憶が脳内で置き換わっていました。

昨日、④と⑤を読み返して、その違和感に気づいたんです。そして、自分の頭の適当さに自信がなくなりました。自分のことについて書きたいのに、書いている俺が混乱しているんです。それでは読んでいる人に何か伝わらないんじゃないかって思います。あと、記憶って、よくわかりません。何で自分の記憶なのに、自分が誤って書いた言葉遣いに騙されて、それを本当だと思ってしまうのか。確固たるもののはずなのに、騙されるのがよくわかりません。

こんなしょうもない一件ですが、自分というものが信用できなくなりました。何か、もし自分がコンピューターだったらOSが故障しているようなものだと思うんです。いや、何かわかりやすくしようとして逆に複雑な概念を持ち込んでいるような気がしたので撤回しますが、自分というのは記憶そのものだと思うのですが、そういう記憶というものが不安定な場合、俺って一体なんなんだと今思っているんです。俺が不安定なのに、俺のことを書くって意味あるのでしょうか。

そんなことに悩んでしまい、昨日からずっと気分がダウンしています。
多分、こういうことでつまづくので、俺は今まで何も作れなかった。まだ自己紹介も終わってないのに、俺が今ままで何も作れなかったと唐突に言われても困りますよね。後で説明しますが、俺は今中学校1年生の時の話から一向に先が進みませんが、この後美術大学に行きます。そこで何も作れなかったんです。いや、何も作れなかったという言葉遣いも間違っています。何かしょぼいものはたまに作りましたが、満足がいくものは作れませんでした。

でも、こういうことでつまいづいていたら、何も作れません。さっきも書きましたけど。だから、何かやっぱり作らないといけないんですね。混乱したら、こうやって混乱したことを正直に書くしかないし、とりあえず何か書いて、何か進まないといけないんだと思います。俺、この世に何も残さないまま死にたくないんです。

でも、やっぱりモヤモヤします。俺、今まで書いた過去の投稿について、振り返っては、ちょっとずつ内容を修正をしてたんです。誤字脱字や、ちょっと日本語のつながりがおかしいと思うところの表現を変えたりしてきました。でもそれって「どういう意味」なんでしょうか?俺は、俺のことを書きたいはずなんです。誤字脱字は100歩譲って「その時に伝えたいと思ったことの出力に事故があったのでそれを修復する」みたいな感じで、「その時に伝えたいこと」そのものを修正しているわけではない気がするんですけど、日本語のつながりが怪しいところの修正とかって、それってもはや「その時に伝えたいこと」そのものを修正している気がするんです。それって、いいのでしょうか。俺の伝えたいことを伝えた、と言えるのかわからないのです。でも、やっぱり伝わりにくいところは修正しないといけないとも思う。そうじゃないとそもそもが伝わらない。でも、そもそもって一体何なのでしょうか?

上記の「でも、やっぱりモヤモヤします。」というのは、「でも、こういうことでつまづいたら何も作れません・・・」以下の「とりあえず何か書いて、何か進む」と自分を鼓舞したものの、やっぱりモヤモヤするという意味です。俺、何か昔からずっと「俺のことを100パーセントきちんと言いたい。言えたら(何かから)救われる。」という思いがあるんです。逆に「1パーセントでも誤ったことを言ったら救われない」とも思っている。いや、それも違う。違くはないけど、もっと正確に言えば、70パーセントなら70パーセントでもいいから、その時は「70パーセント分は言えたけど、30パーセントはここが正確には言えませんでした」と言いたいんです。言えないなら言えないで、言えないことも言いたいんです。

俺は、とにかく人にわかって欲しいんです。寂しいのだと思います。自分のことをわかって欲しい。俺が何を考えてきたかを伝えたくて、いつもいつも何か言おうと思うのですが、何か話すたびに、必ず「言えなかったこと」が出てくるんです。「いや、違う、そうじゃない」と何か話すたびに思ってしまって、すごくそれが切ない。必ず「言い漏れる」ことが出てくる。

今日は終わります。

※最終更新日:2025年6月14日  


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