「俺の東京タワー」とは何か。そもそも私は何者か⑦


こんにちは。
Lily.jrです。

実は先月、住んでいるアパートのトイレの水洗レバーが流した状態で固定されたまま、2日弱ほど留守にしてしまったことがありました。数日前、そのことがあった先月分の水道料金の明細が届いて、その料金を見て驚きました。何と、約2万3千円だったのです。明らかにそのことにより額が高くなっていたのです。

今年度から転職して、ただでさえ給料が下がったのに、こんなしょうもない事故でこの大きさの額が飛ぶのか、と思うと、何か自分の将来に悲観してしまいました。どんなにケチくさく小金を節約しても、こういう不注意でこの大きさの額が飛ぶと思うと、自分は何か生き方というかマインドを変えて、ひたすら生存の為に人生を閉じていかないといけないんじゃないかと思ったんです。人生を閉じると言うのは、とにかく節約して、何も起こらないようにする為に何もしない、みたいなことです。何もしなければ、とりあえずこういう不慮の損失による額はカバーできるはすですが、俺は今色々望みがあるので、イラレやフォトショを買ったり、トナープリンターを買ったりしたいわけです。

年収1千万円の人なら、1万円や2万円の損失を防ぐ為に人生を閉じるのは割に合わないかもしれませんが、俺は雇われて人と一緒に働くということに関して、とにかく苦手であり、この先の人生何か大きく変化がない限りは、自分の能力では年収250万円から400万円くらいの幅の中で生きていくと思います。このポテンシャルの人間は、1万円2万円の損失は大きいので、何もしない、つまり人生を閉ざすような生き方にするべきなんじゃないかと、すごく自信がなくなりました。

しかし幸い、大家に相談したら一応水洗レバーという住宅設備の不良によるものなので、ほぼ料金を負担してくれることに今日なりました。2万円近くの損失がとりあえずなくなった、と思いほっとしました。閉じた生き方をしよう、みたいなマインドも、損失がなくなったことでなくなりました。そういう不注意による損失がある可能性はこれからもあり続けるので、そういうマインドがなくなるのはおかしい話なのですが、でも気分が切り替わったのでしょうがないです。

しかし困ったことに、昨日⑥を書いていた時よりも、今「俺の東京タワー」が書けない気がしているんです。

昨日⑥を書いていた時は、今よりも「もう生存することそのものに価値を感じない(閉じた生き方をするしかない)のだから、さっさとこの俺の東京タワーを書くことを終わらせて、どうにでもなろう」みたいなマインドが強めでした。

しかし、今これを書いている時は「お金の損失を回避できたし、やっぱりもう少し生存することに望みを持ってもいいのではないか」と思っています。いや、これも比較の話で、もともと「ただ生存したってしょうがないんだからもうさっさと色々終わらそう」マインドは持ち合わせているのですが、それが昨日から少し下がってしまったという話です。

しかし「ただ生存すること」に希望を持つと、俺は多分「俺の東京タワー」を書けなくなると思います。「俺の東京タワー」を完成させてしまうことは、やっぱり人生の何かを終わらせる行為で、別に完成したら生命的に死んでしまうわけでは当然ないけど、やっぱり自分の心の中の何かが死ぬ気がします。「ただ生存すること」に希望を持つと、その「心の中の何かが死ぬこと」が怖くなる。やっぱり何か死に近づくことだからです。

だから、死なないようにする為、永遠に完成させないように無限の完成度を求めてしまう気がします。上記の「昨日⑥を書いていた時よりも、今「俺の東京タワー」が書けない気がしている」というのは、これゆえです。何か昨日に比べて、無限の完成度を求めている自分がいるんです。無限の完成度を求めると、何も進まないことになります。

だから、完成させる為には、やっぱり「ただ生存すること」に希望を持っちゃいけなくて、俺はあくまでもこの人生の何かを終わらせる気で書かないといけないのでしょう。そうすれば、やっぱり何か進む、つまり書けるはずです。

そして、俺の自己紹介がやっぱり進みませんでした。今俺がこうやって自己紹介をしているのは、俺が過去の記憶を整理して、俺の東京タワーを書く為なんです。当初はそう思ってませんでしたが、今はそういう動機になっています。

次から頑張ります。

※最終更新日:2025年6月14日  


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