俺は、何となく頭の中にある「書きたかった過去のこと」をこれから書いていくけど、それらは別に伏線回収のようにそれぞれ最後につながることはない。そして、オチや結論めいたこともないし、本当に何もない、と思う。今この段階ではあると思ってない。ただ、書いて発表したいだけ。そんなものを人に見せる意味って何なのかわからないのだけど。
そして、「これとこれを書いたから終わり」みたいなことも、ないと思う。何かを書いて発表したいのは、俺がずっと「救われたい」と思っていて、何から救われたいのかわからないのだけど、とりあえず「救われていない」という気持ちが自分は強い。何かを書いて、発表したら「救われる」みたいな、そういう気持ちがずっと自分にはある。で、それは多分何か幻想みたいなもので、「救われる」みたいな瞬間ってないんだと思う。なんか、全部自分の気持ち由来のもので、これを書いている今この世界に「俺が救われる為にはこれとこれを書けば良い」みたいな答えがあるわけじゃないと思う。だから何書いても良いし、多分何書いても救われない。
今まで、自分の歴史を時系列で紹介してきたけど、中学1年生の時、リリーフランキーの東京タワーを読んだ、というところで終わっていた。この後、俺は普通科の公立高校に行き、美術予備校で1年間浪人した後、2014年に多摩美術大学に入学した。油絵専攻で。
もう時系列も何もないのだけど、2015年、大学2年生の夏休みに起こったことについてどうやら今、自分は書きたいらしい。そんな感じがする。
ああ、俺は、「俺の東京タワー」という映画の脚本を書く為にこのウェブサイトを作って、このブログでは何か自己紹介とか、脚本の経過報告とかする予定だったのに。おかしいことになっている。情念を吐き散らかすだけでは昔書いていたブログと同じになってしまう。
この先、いくら書いたって、「終わり」はないのに。それは前のブログでわかったはず。昔、ブログを書いていた。そこで、何か情念を吐き散らかしても「終わり」はないことはわかった。
おかしい方向に、行きかけていた。昔の失敗は繰り返してはいけない。もう、振り返るのは昔のブログで十分やってきたから。そこの気持ちよさはもういい。これからは、昔みたいに過去の情念に酔いたくなったら、そのあたりのブログの記事を載せてすまそうと思う。書いても救われないかもしれないけれど、終わりはないかもしれないけど、それでも冷静に、終わるかもしれないこととして書かないといけない。次回からまた、冷静に書いていきます。
ちなみに、「俺の東京タワー」の脚本については、ここの記事で過去の自分を現在まで振り返ったら、書き始めることに自分の中でした。当初、ここの記事では経過報告とかそんなつもりのことを書こうと思っていたけど、いつの間にかここで過去のことを振り返ってから書くことに自分の中でなっていた。開き直るようだけど、俺は長期スパンで何かをやることが心底苦手というか、いろんなことを覚えてられないというか首尾一貫するみたいなことができないので、こうやって目的が途中から変わってしまうことがよくある。
ではまた。
